日本の農業で世界へ~起業の記録~

京都大学農学部卒業、外資戦略コンサル、ITベンチャー役員を経て、製菓会社の社長として経営再建を経験。現在、米国バブソンMBA留学中、2016年6月D-matcha株式会社(https://dmatcha.jp/)を設立。

経営再建④ ~旧会社引き継ぎから新会社設立まで(後編)~

製造現場

10月中、本部や店舗、製造現場(別会社)をとにかく見て廻った。特に製造現場は非常に多くの問題を抱えていた。
本件のスキームでは、製造は自社から別会社に移管し、OEMに切り替えることになっていた。製造場所は、都内にある本店から、千葉の菓子製造受託会社の工場の一角へと移転した。
商品の日持ちの関係から製造ラインを止めることはできなかった。製造スタッフはいきなり、通勤片道2時間、もしくは引っ越しを伴い、移転作業を進めなければならなかった。
しかも、移転先は本件の受託製造を快くは思っていないようだった。色々な縁で、急きょ本件を引き受けることとなったようだ。当該移転先の社長さんも困惑していたに違いない。手が足りず、移転先の社長さん自ら、器具の洗浄など行っている状態だった。
とにかく、製造は混乱を極めていた。
 
工場を訪れるまで、ディベロッパーとの交渉日に発生した異物混入事件など、商品の質・供給が安定していないことに不満を感じていた。しかし現場を目の当たりにした時、そのような不満は頭から消えた。
工場を訪れた時、皆の疲れきった顔を見て、そしてそれでもブランドは継続したい、新しい会社に貢献したい、という熱い想いから、必死に頑張っている社員の姿を見て、胸にぐっとくるものを感じた。
 
どのような事象にも、その背景には理由があり、うわべだけで不用意に判断したり、言葉を発してはならない、と身に染みた瞬間だった。何か問題がある時は何処かにひずみがある。
 

帳簿の驚き

本部の会計書類を見て、掛け金の金額を精査している時だった。経理の社員が通月の帳簿を見せてくれた。見て目を見張った。
想定外の90日やそれ以上の掛け金がたくさんあり、その内容はM&A時に開示されていた内容と随分と相違あるものだった。急いで前社長兼オーナーに抗議し、買収金額の調整を行うよう交渉を行った。
 
このような小規模企業かつ破綻企業を買収する際、包括的かつ正確な情報が揃っていることなどほとんどないだろう。その怖さを肌身で感じたのだった。
私だって多少は覚悟していた。だが現実はそれを上回った。当時26歳の私の想像力・経験は乏しかった。
新会社の今後のことを想い、勇気をもって教えてくれた経理社員には今でも感謝は忘れない。 
 

NYのオーナーとの出会い

その後10月の末から11月頭にかけて、NYを訪れ、フランチャイズ契約を更新する運びとなっていた。
NYのオーナー兼CEOは、アパートの一室から起業し、最初は自ら商品を自転車で届けていた、苦労人にして職人気質の人間だ。何処の馬の骨か解らない新たな経営陣と会うことに消極的だったが、CFOが我々が交渉する場を積極的に創ってくれたのだった。
 
渡米初日、早速NYの本店に訪れて商品を食べた。
衝撃だった。美味しい。
同じブランドの商品とは思えなない、というのが第一印象だった。本来のこのブランドの持つ強さを感じた。
無理な店舗拡大が、品質の低下を招いていたのは明らかだった。落胆とともに、正解がNYにあるという希望の両方を感じた。
その中で、製造という本来的な価値を持つ部門が別会社になっている現状に対して、どこか微かな違和感を覚えたのも確かだった。
 
NYの経営陣は、旧会社が破綻する前に日本に訪れており、その時点ですでにその味が失われていたこと、前社長との関係性の悪化、案の定、経営が行き詰っていたことに極めて強い不信感を持ってた。
それでも、「日本の経営体が無くなるよりはまし。NYのブランドが日本を撤退した、という悪評は避けたい」といった背景から契約を締結したようだった。
 
丁度、契約日は超大型ハリケーンサンディがNYを襲い、NYのごく一部の中心部以外は停電。私も自分のホテルを追い出され、停電を免れた中心部にあるホテルのロビーで、なんとか契約を締結したことを鮮明に覚えている。 
この締結を日本に電話で伝え、その日に旧会社のオーナーに買収金額を支払いが行われた。
そして、新設会社の設立、当該会社の取締役社長として11月から業務を進めることになる。
 
(C)2016 daikimatcha

経営再建③ ~旧会社引き継ぎから新会社設立まで(前編)~

9月末日に全社員との面談を行い、10月から当時自由が丘にあった会社の本部へと毎日通い引き継ぎ業務をしていくこととなった。今でも忘れないのは、最初に本部事務所に入った時の印象。店舗の裏にある狭いスペースにて、とても重たくどんよりとした空気の中で7人程が働いていた。店の外に大きなテラスが合ったので、そこで面談をしていき、各店舗の社員とは私が出向いて各店舗で面談をしていくことにした。 
 

(社員との出会い)

各人と面談していく中で驚いたのは、前社長に対する信望の深さ、販売社員の質の高さだった。女性社員のうち何人かは、私と面談をするなり、「前社長を心底信頼していて、今後一緒に働けないのは辛い」と涙を流したことは今でも鮮明に覚えている。
創業社長への想い、20代半ばそこそこの若者が時期社長になる不安、会社がうまくいかなくなってしまったこと、様々な想いが混じった涙なのだろう。
 

(前社長への忠誠心、新社長への不安)

前社長は、NYのこのブランドを見出し、それを日本に持ち込み、事業を拡大してきた。その目利き、販売力、人を駆り立てる推進力に富んだ方だったのだろう。社員にとってはカリスマ的存在だった。しかし、社員の給与を2か月も未払いにしていた。
給与未払いの状況で、前社長への信頼は全く揺るいでいないというのは、驚くべきことであった。しかも、その未払い給与を引き継いだのは新会社であるのに、社員からそのことを表立って感謝されることはなかった。
 
新社長である私への不安は、今思えば無理もないことだった。
当時正社員が販売、管理で20名前後、アルバイトを入れて100人弱の組織の中で、学生アルバイトを除けば、私は下から数えて5番以内の若い年齢。社員の前社長への忠誠心の強さは、裏を返せば私のやり方への反発・不満につながりかねないと懸念した。
とにかく実績を出すこと、結果を見せることで理解してもらうしかない、と意気込んだ。
 

(販売部門責任者のSさん)

今後の再建を進めていく上で、販売部門の責任者Sさんとの信頼関係を構築していくことが必須だった。彼無しで、外部者だけで再建を行うことは不可能だ。彼は日々のオペレーションをすべて把握しており、頼りになる存在だった。彼は、新規出店の提案書と収支計画を2店舗程もって私との打合せに望んできた。小さな会社にも関わらず、きっちりと数字で収支計画をロジックに基づいて算出してきたスキルの高さと、誠実そうな人柄にとても良い印象をもった。私が作成した経営計画書を渡し、 まずはコスト削減によるキャッシュフロー改善が必須だと考えていたので、説明をして納得して貰った。
 
また、Sさんが中心となって 、デベロッパーに対するM&Aに関する事情説明と新規契約更新を取りつけるため、打合せを設定していった。どの店舗も開店から3年以上経っており、前会社とディベロッパーとの関係は良好そうで更新も問題ないと思っていた。
だが、Sさんだけは経験の中から、契約継続・更新の交渉が容易でないことを感じていたようだった。 
 

(ディベロッパーとの交渉)

よりにもよって、限界利益の半分を稼ぐ収益店舗が入っているディベロッパーとの面談当日、商品への異物混入事件が発生した。打ち合わせは、非常に不穏な空気で始まった。ディベロッパーの重役に「いくら新会社の情熱・改善策を説明されても、こういう事態が起きている事実を前には、あなたたちを信頼できない」と言われた。ぐうの根も出なかった。
 
ほかのディベロッパーも、新会社によるM&Aに対する反応は悪いものだった。ディベロッパーはM&Aの話が事前に知らされておらず、この話が事実として決定してから、交渉にきていることに立腹していた。加えて、引き継ぎ先の新会社の社長が若輩で株主がIT会社とVCというのも、デベロッパーの重役達には印象が良くない。
 
それ以上に彼らが腹を立てていたのは、
旧会社が、会社名の変更、株主の変更、などビジネススキームの変更を一切ディベロッパーに知らせず、勝手に行っていたということだった。これらはディベロッパーとの契約違反だ。新会社の私たちにも寝耳に水だった。
 
ディベロッパーからすると、新会社・旧会社というのは関係なかった。
このような契約違反を行っていたのは旧会社だったが、彼らは、このブランドに対して、この案件に対して、明らかな不信感を抱いたのだった。
しかし、デベロッパー側も急に空き店舗を作るわけにはいかない、という事情から短期間での契約延長がなされた。
当初は、十分に延長も視野に入れたうえで、という話だった。胸をなでおろした。
 
(C)2016 daikimatcha
 

経営再建② ~社長になるまで(後編)~

(※旧会社:もともと当該製菓会社を運営していた会社)
(※新会社:新設分割により新しく設立し、我々が買収することになる対象会社)
 

旧会社側との交渉

コンペに参加し、買収に際しての諸条件を詰めていく段階に入っていった。

早速、旧会社の社長、役員、そして主要株主との交渉が始まった。

旧会社側がわれわれに求めてきた条件は、従業員の未払い給与(2月分)の引き継ぎ、NYへの未払いロイヤルティの引き継ぎ、現場社員の可能な限りの雇用継続、そして数千万円という買収価格が主だった。

買収価格並びに運転資金も考えると億単位の資金が必要となり、VCの参加が必要最低条件だった。
買収先と同様にVCとの交渉も継続して実施していくことになる。
 

VC側の条件

まず、方向が決まったのはVC。投資委員会の正式な決定はdeal直前だが、内内の承諾を事前に取りつけることができるという。
新設会社の株式を、IT会社が過半を取るという枠組みにおいて、VC側が提示した条件は、①IT会社がいかなる協力もおしまず行うこと ②VCが購入する新設会社の社債をIT会社が保証すること ③私が代表取締役になること が主な条件だった。
その他、株式や社債返還に関する様々な条項があったがここでは割愛する。
 
最初にこの条件を聞いた時の率直な印象は、凄い機会が来たというポジティブなものと、このハイリスクな案件は大丈夫だろうか、という両方が入り混じった複雑なものだった。
 
IT会社のI社長は、本当に器の大きい方で、このリスクを私に代表取締役として負わせるのは大きすぎるから、ご自身が代表取締役会長となられ、私が取締役社長、となる提案をして下さり、結果そのような体制がVCにも受理され、VCの参加が事実上、内諾されたような状況になった。 
 
旧会社側も、VCという資金の出所が確実な我々IT会社陣営を優先的な買収相手として選んだ。
我々側も10月一杯運営する中で、①店舗契約が新会社に移行すること  ②NYと新会社との契約が締結できること ③別会社に譲渡される製造部門が機能すること ④その他開示された情報と異なる事実が発生しないこと がクリアされた場合、最終的に買収金額を振込dealを完了させることで合意した。 
 

チャンスを与えられる、ということ

私はこの時期を振り返るとき、いつも思う。
私にはI社長のように「26歳の若輩者に任せてみよう」と思える度量があるだろうか。
人に任せるというのは、簡単なようで非常に難しい。自分が経営者となったのち身に染みて思う。
でも、もしこの案件を任せてもらえていなかったら、私の人生は全く違ったものになっていただろう。
 
I社長は「自分も若いころ、同じように経営の経験を積みたかった。でも自分にはそういったチャンスを与えてくれる人も機会もなかった。だから、きみに任せるよ。」と言っていた。
I社長の懐の大きさに感謝している。
 
翌月2012年10月から、私は次期社長として、会社本部に常駐へし、社員との顔合わせや、店舗契約の移行、NYとの新規契約の締結などを実施していくことなる。
 
(C)2016 daikimatcha
 

経営再建➀ ~社長になるまで(前編)~

これは、私が経営再建で経験した事実です。

当時、26歳。菓子会社の経営再建を行うべく、社長に就任しました。

私なりに必死で考え、失敗し、人に助けられ、成長してきた記録です。

同じ境遇の方々の少しでもお役に立てることを願い、書き記します。

 

****************************************************************************************

社長に就任するまで(前編)

 

2012年7月某日、当時役員を勤めていたIT会社の社長(Iさん)から「ある菓子会社の買収案件の話がでている。一度仲介会社の話を聞いてみようと思う。」と突然、伝えられた。

当該IT会社は製菓会社のECサイトの運営を行うとともに、自社菓子ブランドの店舗運営を行うなど、製菓の分野においても経験を要する会社であり、私は当時、この製菓関連の事業の責任者をしていた。

当初、その菓子会社について良く知らなかったが、ホームページを見ると都心を中心にターミナル駅に店を5店舗構えていることがわかった。

こういった買収案件の場合、ディールがその先に進む確率は非常に低いもの。その時の私は、まさかその会社の社長になるだろうとは予想だにしていない。

 

8月半ばごろ、I社長から「以前から親交のあるベンチャーキャピタル(以下VC)に話をしたところ、この案件に対して興味を持っているようだ。資金的にも協力を得られる可能性があるか、もう少しディールに関わっていこう」と報告があった。

このあたりから、私も案件に関する打合せに参加することとなる。

9月の初旬から中旬にかけて本案件のコンペを行い、9月末にはdealを実行するという非常にタイトなスケジュールだった。

ここから、2週間、私は主にVCを説得するためのデューデリジェンス(買収先の企業価値評価)を行うことになる。

 

デューデリジェンス

外資戦略コンサル時代、デューデリジェンスの経験は、何回かあった。

コンサル時代に経験した一般的なデューデリジェンスでは、主な依頼主は投資ファンドであった。彼らが買収に際して、投資銀行に財務デューデリを、弁護士に法務デューデリを、コンサルにビジネスデューデリ(今後の戦略や収益性の予測)を依頼し、買収の判断可否、コンペに臨む資料作成などを行う。

しかし、本件の場合、買収金額が1億円を切るということ、予算の制約があり、基本的に自社でのデューデリジェンスを、私と1人の部下Jさんの計2名だけで、行うことなった。大企業と異なり、中小企業には常に予算の制約があるのだ。

 

買収対象会社は、NYの本店から国内のFC運営権利を得て運営しており、高付加価値商品を提供するニッチプレイヤー。創業から約10年の実績を持ち、7年間で16店舗まで急拡大した後、既存店売上低下に伴う店舗契約の終了によって、2012年には5店舗まで規模は縮小。このような急激な売上高の低下に伴い、損失も売上高の10%以上でているような状況だった。その当時、私が店舗を訪れて商品を食べたときの感想も決して良いものではなかった。 

 

しかし、財務諸表をみてみると、当時残っている店舗の既存店売上高はここ数年落ち着いており、何よりも本部経費、物流費、製造原価、そして店舗人件費といったコスト面での割高感が見てとれた。

コスト削減を行うことでまずはキャッシュフローの黒転を短期に狙い、その後地道な売上向上施策によって既存店売上を押上げて立て直した後、新規店舗を展開していく、というシンプルで骨太な戦略を十分に見出すことができた。特に、本部経費は、IT会社の管理本部と業務を統合できること、買収の枠組みで製造部門は別会社に売却することが決まっており変動費化が見えていたこと、物流の効率化、混雑時と相関しない店舗のシフトなど人件費の合理化、等コスト面の改善は確実性の高い施策にまで落としむことができた。 

 

VCへの提案

このような分析を元に、VCの経営陣、ファンドの責任者などにプレゼンを実施しにいった。

彼らは、手堅くコストを削減し、その後拡大するという確度の高い戦略方針に共感した。売上高の目標についても、30年間近く1200億円前後で推移している市場において1%弱のシェアを取るという目標は現実感があるとの評価だった。

 

このあくまで長期トレンドを重視するVCの見方は勉強になった。その上で、彼らが懸念していたのは法務リスクであった。

今回の場合、仲介会社から提案されたのは、当該会社の買収を、当該運営会社の子会社を設立し(新設分割)、事業を当該会社に譲渡、その後新規に設立した会社を買収し、残った運営会社を破産させるという、会社分割によるM&Aというスキームだった。

このスキームのメリットとしては、債権者に対する事前合意が必要無いため、迅速にM&Aが終了すること。

一方で、デメリットとしては、債権者から新会社に対して何かしらの法的アクションがあり得る。

VCは、全く関係の無い新会社を設立し、そこに事業を譲渡する、事業譲渡を提案し、私もI社長もその方が良いと考えた。事業譲渡の場合、旧会社の債権者に対して、事前承諾をとるため、M&A完了までのプロセスに時間は要するが、その後のビジネスは円滑に進められる可能性が高い。

 

仲介会社を通じて、事業譲渡へのスキーム変更を提案したが、当該会社が資金繰りに極めて窮しており、10月以降に交渉が流れ込むと運営ができなくなり、案件自体が無くなる可能性が高いこと、当該M&Aコンペ参加予定の別会社が新設分割によるM&AでOKをしているという事態から、新設分割によるM&Aによって案件を進めざるを得なくなった。

VCとも相談し、簡易的な法務デューデリを弁護士に依頼したうえで、契約書に当該リスクを軽減する旨を盛り込んだ上で、参加する方針に決まった。

仲介会社にM&Aや経営再建に強みを持つ弁護士に依頼をし、契約書を一部変更することで法的リスクの軽減を行った。債権者からの法的アクションのリスクについては、旧会社が債権者に対してしっかりと説明責任を負い、新会社には迷惑がかからないようにする、という約定を盛り込んだ。

 

客観性を保つということの難しさ

コンペへの参加が決定した以上、勝たなくてはいけない。チームのメンバーには不思議とそういった思いに駆られるようになっていった。

買収案件において客観性を保つというのは必要不可欠だが、実際に進めていくと、時間的な制約、買収先、競合先とのかけひき、心理的な要因から知らないうちに客観性を保ことが難しくなってしまう。

今だから言えることだが、このような買収案件ではディールを進める前に案件参加の可否を決める自社としての基準を設定し、案件途中でも冷静に当該基準に遵守することが必要である。

 

(C)2016 daikimatcha

daikimatcha.hatenablog.com

 

私がブログを始める理由

思い切って、ブログをはじめます。

初回投稿なので、なぜ柄にも合わずブログを始めようと思ったかをお話ししようと思います。

 

(1)今までの経験を文章にすることで、整理したい。 

数年前に経験した菓子会社の経営再建で、たくさんの困難を経験しました。経営者として悩み、数多くの失敗も経験しました。
この経験を風化させないように、そして、それが似た境遇の方たちの役に立ったり、励みになることを願い、書き起こすことにします。

 

米国MBAを経験して、日本という国の良いところ、直したいところ、今まで気づかなった視点が生まれてきました。
世界中から集まる学生達との議論を通じて、今後の世界の行く道、日本がその中でどういった役割を果たしていくか、その日本に自分としてどう貢献するか、そんな視点を文章にしながら自分なりに整理したいと思います。

 

(2)経営者として自分が考えていることを発信したい。

食・農業ビジネスへの想い

私は食にかかわるビジネスを通じて、人々の「健康」に貢献できる事業を行いたいと長年考えてきました。
幼少期に身内の不幸を通じて、人生において「健康」が大事だということを強く実感しました。
自分の好きな分野・強みを活かせる分野である「食・農業」という業界でこれを実践していくと決意しました。

 

農学専攻のバックグラウンドと商売経験から、農業分野においては、農業に対する理解とともに、販売まで行える事業体が必要だと感じてきました。
どれだけ優秀な農家さんでも、美味しいものを創ると同時に、販売に同程度、力を入れるというのは1人の人間である以上、なかなか難しい。
生産から販売まで一気通貫で事業を経営することで、農業という産業に市場で戦う新たな強さをもたらしたい。

 

小売業界で働く、ということ

小売業界で商売をする中で感じてきた問題意識。儲かる仕組みとともに社員が健康で幸せに働き続ける環境を創りあげなければならない、ということ。

日本の小売産業は、概して勤務時間が長く給与が低い。ディベロッパーからの制約等、様々な問題で構造的にこのような現象が起きてしまっています。
この構造的な問題に、まずは自分の周りから、取り組もうと決意しました。

 

海外と戦う、ということ

 日本はこの先、超高齢化社会が進み、国際的に相対的に力が弱くなっていきます。

一方で、日本人の持つ誠実さ、堅実さ、歴史、文化の奥深さは、抜きんでています。海外生活を経て、一層、確信を深めています。

小売は内需だけに頼るのではなく、外需を取り込み成長し、国に富をもたらすことを考えるべき時代に来ています。ただ、現状の小売業界は、それを海外に持ち出す力、発信することが苦手なのです。人材も不足しています。

私は、日本の食の持つ素晴らしさを世界に発信していくことで、日本の農、食分野の発展に貢献していきます。

 

ベンチャーが世の中にもたらすこと

 大企業が良しとされ、自分の事業に挑戦する人が少ない環境を変えたいと強く想っています。

縮小経済・成熟した社会において変革をもたらすのは、草の根的に物事を実際に「やる」起業家たちであり、評論家ではありません。
夢と希望をもって挑戦する起業家が、日本で増えていく土壌を創っていきたい。

 

最後に、日本には優秀だが出産や結婚を気にキャリアを考えていく女性がたくさんいます。あきらめや忍耐ではなく、どう働き方・仕組みを構築していけばよいのか。
豊かな人生を送るための働き方とは何なのか、女性だけでなく男性にも共通する問題です。そういった働き方を社会に提示していけるベンチャーを創っていきたい。

 

(3)結果、共感してもらえる人がいたら一緒に仕事がしたい。  

やはり仕事は、同じ目標を目指せる人、価値観を共有できる人と一緒にしていきたい。そのために、私が経営者としてどんな考えをしているか、ということを知ってもらうことが必要だと思いました。
もちろん考え方の違いなど、ダイバーシティは大歓迎です。建設的な議論を重ねていける仲間を増やしたいと考えています。

 

世の中を良くしていくのに、幸せになるのに、一人だけでは難しい。今、自分で文章を綴りながら、その道のりの険しさ、ゴールの高さに改めて身を引き締めています。
様々な分野で様々な強みを持つ人々と協働していきたい。
このブログがそういった人々との出会いやプロジェクトのきっかけになれば幸いです。

 

(C) 2016 daikimatcha